パキスタン北部地震災害救援活動

看護師 一木 千夏

パキスタン北部地震の医療支援に当院の一木千夏看護師が参加しました。
「国際赤十字・赤新月社連盟」が支援する北西辺境州にあるアボタバード病院に連盟の国際チームの一員として入り、現地の外科医療チームを支援する用務に付きました。
以下一木看護師の救援活動報告です。

 2005年10月8日午前8時50分(現地時間)、パキスタンでマグニチュード7・6の大地震が発生。被害はパキスタンを中心にインド・アフガニスタンに及び犠牲者は約8万6千人。被災者は4百万人にのぼりました。

日本赤十字社は救援活動として10月9日先遣隊を派遣。赤十字国際委員会、国際赤十字連盟の調整のもと、カシミール地方には各国の赤十字社と協調して仮設診療所タイプのERU(緊急対応ユニット)を展開し診療を開始しました。また北西辺境州アボタバードの病院では北部被災地の後方支援病院としての外科医療支援の為、連盟国際医療チームに日赤医療チーム10名を派遣しました。私はアボタバードにて10月27日から2ヶ月間フィールドホスピタルの立ち上げと診療活動を行いました。

 アボタバードの病院は1千床規模の病院ですが一部に被害を受けながらも機能しており、発災から3日間で北部被害地域などから8千人ほどの搬送患者を受け入れてきました。
復旧により寸断されていた道路が開通するに伴い、後方支援病院として今後さらに患者が増大することが予想されたため連盟のフィールドホスピタル(2百床規模)を立ち上げ患者の診療活動にあたりました。
現地到着時、すでに入院患者30人を受け入れてあり準備不十分の中からのスタートでした。
到着時は丁度ラマダンの時期で、忙しさも手伝って私たちもローカルスタッフと同様ラマダン状態(昼食抜き)で過しました。
その後日が経つにつれて病院機能は次第に確立され、インフラ面、スタッフ、設備面等、患者さんを取り巻く環境は次第に良くなりました。
北部からの搬送患者の大部分は外科的処置が必要であり、地震発生時現地で応急処置はしたものの不十分な固定や不衛生な外傷のケースが多く、創処置や生活援助、また術前後の管理も行いました。
地震発生時間が9時前だった為、入院患者は女性や子供が多く、地震のショックから不眠、不安、倦怠感を訴えたり、歩行困雛などの精神的な問題を抱えたケースもあり、メンタルケアチームの介入も早期から行われました。
苦痛の除去と安定した環境を提供できるよう毎日スタッフミーティングを繰り返し、いかにして快適に過ごせるかを考えながらケアした結果、開所当時は薄暗いテントの中で暗い表情をして動かなかった患者さん達の表情が次第に和らぎ、日中は外で過すなどの精神的な変化も起こりました。

患者さんの笑顔に励まされ、困っているときは国を超えて助け合い、心と心が通じ合えるすばらしさを改めて感じました。
看護の面ではローカルスタッフの教育を行い、質の高いケアを目指しました。
最初は、回診介助から体位の交換まで、ひとつひとつ説明を繰り返さなければなりませんでしたが、2ヶ目過ぎる頃には、こちらのチェックはまだ必要ですが、患者さんの状態に応じてケアすることができるようになったと思います。
被災者の治療活動を行い体の傷は治癒に向かいましたが、心の傷が癒えるのには長い時間がかかる上、家を失くし帰る場所がない人が大半で、復興にはまだほど遠いのが現状です。
他国際機関や政府からも援助はありながらも被災地域、特にカシミール地方は厳寒下テント生活を強いられている多くの被災者の健康状態の悪化”第2の死の波”が懸念されています。

現在も日赤は活動を続けていますが、医療支援以外にも防寒テントやストーブなど、生活基盤を失った被災者へ長期的な絶え間ない援助が必要と思います。
近年大きな災害が立て続けに起きていますが、同じ人間として助け合いの気持ちを大切に、今回のミッションで学んだ多くの事を今後の救援活動に役立てて生きたいと思います。
忙しい中、2ヶ月間の活動に理解を示し協力をしていただいた、整形外科病棟スタッフや関係者の皆様、さまざまな方面から支えていただいた皆様、そして、共に頑張ってくれたパキスタンの人々に感謝し、一日も早い復興を願っています。